【自由の相互承認】教師としても人間としても楽になる考え方
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学校として、教師として、子ども達の将来を考えることこそが使命です。


子ども達が将来、学校を卒業をした後に、自由に生きていく力、それが『生きる力』なのだと思います。

簡単に言うと、「自分でやりたいことを自分で決め、やりたいように行動していくこと」です。


しかし、一方で、みんなが自分のやりたいようにしてしまったら、衝突が起きてしまうのは人類の過去を見てみても明らかです。


みんながやりたいことをやり〈自由になり〉、尚且つ衝突も起きないようにするためにはどうすればよいか。


この問いを頭の良い人達が考えてきてくれました。

そして、十八~十九世紀のドイツの哲学者ヘーゲルさんが強調した考え方が『自由の相互承認』という考え方です。


これは、一旦お互いがお互いに対して相手が『自由』な存在であることを認め合うこと、という考え方です。


この考えを知ったとき、「ややこしっ!」って思いました。でも、自分なりに解釈してみます。


結論から言うと、『僕は相手のことは相手がやるから自分は自分のことを一生懸命やろうぜ』ってことだと解釈しました。


お互いがお互いを自由な存在であると認める。言ってることはわかりますが、じゃあどうするのって感じです。


「私は自由だし、君も自由だよ」って言えばOKなのかというと、そういう訳ではないですよね。

お互いが自由と言うとややこしいくなってしまうので、相手は相手に任せて自分は自分のことをしましょ。

自分のことならある程度のことは自分でコントロールできるはずです。

誰かに言われたことをそのままやる受身ではなく、自分で考えて自分で選択して、自分で行動していく。

この流れが大切なのかなと。

その中で、どうしても相手との関わりの部分が出てしまいますが、その時も自分のコントロールできるところだけに集中します。

例えば、友達との関係で相手に何か直して欲しいところがあるとします。その直して欲しいということを伝えるのは自分でできますが、本当に直すかどうかは相手次第です。伝えることはコントロールできますが、相手が直すかどうかはコントロールできません。だから、相手が直してくれなくても、そこにイライラしてしまうのは時間の無駄です。

こんな感じで、どこが自分のコントロール可能なところでどこが自分のコントロール不可能なところなのかを見極めることが大切なのかなと思います。

僕も、よく子ども達に「自分にできることを一生懸命やろう」と言います。

これも伝えるのはできますが、するかどうかは相手次第です。

この考えを知る前は、相手を思って何かとアドバイスをしたのに行動してくれないとき、相手にいちいちイライラすることが多かったです。

ですが、この考えを知ってからはあまり気にならなくなりました。かえってそのほうが、相手に対していい意味で好き勝手言えるようになりましたね。


この解釈が合っているかはわかりませんが、少なくとも自分の心が軽くなったので良しとします。

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